
フィリピンへの旅行や留学、あるいはビジネスでの滞在を考えている方にとって、現地では実際に何語が通じるのか、どんな言葉が話されているのかは非常に気になるところですよね。
7,000以上の島々からなるフィリピンには、私たちがよく耳にするタガログ語や英語だけでなく、セブアノ語やイロカノ語など、地域によって異なる数多くの言語が存在しています。
この記事では、フィリピンの言語一覧という視点から、複雑そうに見える公用語の仕組みや地域ごとの分布、そして旅行ですぐに使える便利な挨拶まで、その特徴をわかりやすくご紹介します。
記事のポイント
- フィリピンの公用語である英語とフィリピノ語の明確な違いと関係性
- タガログ語やセブアノ語など地域ごとに話されている主要な言語の分布
- 現地の人との距離をグッと縮めるための基本的な挨拶や実用的なフレーズ
- 歴史的な背景や現代のタグリッシュなどフィリピン独自の言語文化の深層

基礎知識としてのフィリピンの言語一覧
まずは、フィリピンという国が持つ言語の全体像を掴んでいきましょう。
「フィリピン語」という一つの言語があるわけではなく、国語、公用語、そして地方言語が複雑に、しかし機能的に共存しているのがこの国の面白いところです。多島海国家ならではの地理的条件が育んだ、極めてユニークな言語生態系を紐解いていきます。
フィリピンの公用語と国語の定義

フィリピンの言語事情を語る上で、最初に押さえておきたいのが「国語(National Language)」と「公用語(Official Language)」の法的な違いと、それが実社会でどのように機能しているかという点です。
フィリピンに滞在すると、「みんなタガログ語を話しているのに、なぜ英語の看板ばかりなんだろう?」と疑問に思うかもしれません。しかし、現在のフィリピン共和国憲法(1987年憲法)の条文を確認すると、その謎が解けます。
まず、フィリピンの国語は「フィリピノ語(Filipino)」と憲法ではっきりと定められています。これは単なるコミュニケーションの道具という以上に、7,000以上の島々に分かれ、異なる民族的背景を持つ国民を一つにまとめる「国家としてのアイデンティティ」や「統一性」を象徴する言語としての役割を担っています。
テレビの全国放送、選挙キャンペーン、あるいは国民的な行事では、国民全員に語りかける言葉としてこのフィリピノ語が使われます。
一方で、公用語として定められているのは「フィリピノ語」と「英語」の2つです。ここが非常に重要なポイントです。「公用語」とは、政府の公式な活動、法廷での記録、教育機関での教授用語として法的に認められた言語を指します。
公用語の使い分けの実際
実際の社会生活では、この2つの公用語は見事に使い分けられています。
行政・法律: 法律の条文、契約書、政府の公式文書は基本的に「英語」で書かれます。裁判の記録も英語です。
教育: 数学や理科などの主要科目は、小学校高学年から大学に至るまで、伝統的に「英語」で教えられてきました。
多くの日本人にとってフィリピンが英語留学の先として人気なのも、単に英語が話せる人が多いというレベルの話ではなく、憲法によって英語が公用語として強力に保護され、社会システムの中に深く根付いているという裏付けがあるからなんですね。
つまり、フィリピン人にとって英語は「外国語」というよりも、「社会生活を営む上で必須の公用語(第二言語)」という感覚に近いのです。
タガログ語とフィリピノ語の違い

「タガログ語とフィリピノ語って何が違うの?」「同じものじゃないの?」というのは、フィリピンに関心を持つ人が必ずと言っていいほど抱く疑問です。現地の人に聞いても「同じだよ(Same lang)」と返ってくることもあれば、「全然違う」と熱弁されることもあり、余計に混乱してしまいますよね。
結論から言うと、タガログ語が言語学的な「基礎(Basis)」であり、フィリピノ語はそれを国家統合のために「標準化・発展」させたものという関係にあります。
歴史的な変遷と政治的背景
もともとマニラ周辺(ルソン島中南部)で話されていた一地方言語であるタガログ語が、1937年にケソン大統領の時代に「国語の基礎」として選ばれました。しかし、これに対してセブアノ語やイロカノ語など、他の有力な言語を話す地域から「なぜタガログ語だけが特別扱いされるのか」という反発が生まれました。
そこで、より中立的で国民全体のものとするために、1961年に「ピリピノ(Pilipino)」と命名され、さらに1987年の憲法で、タガログ語という特定の民族色を薄め、より多くの外来語や他地域の言葉を取り入れた「フィリピノ(Filipino)」として再定義されたのです。
「P」から「F」への頭文字の変更は、単なる綴りの変更ではなく、より普遍的な(Universal)言語を目指すという国家の意志の表れでもあります。
言語学的な具体的な違いを見てみましょう。タガログ語の伝統的なアルファベット(Abakada)は20文字でしたが、フィリピノ語はこれに英語やスペイン語由来の「c, f, j, ñ, q, v, x, z」の8文字を加えた28文字で構成されています。
例えば、「フェスティバル」という言葉を伝統的なタガログ語のルールで書くと「Pista(ピスタ)」になりますが、現代のフィリピノ語では英語の音を取り入れて「Festival」とそのまま記述したり発音したりすることが許容されます。
このように、フィリピノ語は、タガログ語の文法構造をベースにしつつも、英語やスペイン語、さらにはセブアノ語などの地方言語の語彙を柔軟に吸収し、現代社会のあらゆる概念を表現できるように進化し続けている「生きている言語」だと言えます。
英語の役割と普及している背景

フィリピンにおける英語の存在感と普及率は、アジア諸国の中でも群を抜いています。これは一朝一夕に達成されたものではなく、1898年から1946年まで続いたアメリカ合衆国による統治時代に、徹底的な公教育システムを通じて英語が導入されたという歴史的経緯に深く根差しています。
アメリカ統治時代、大量のアメリカ人教師がフィリピン各地に派遣され、フィリピンの子供たちに英語で教育を行いました。これにより、フィリピンのエリート層だけでなく、一般庶民の間にも英語が「教育と出世の言語」として浸透していきました。
現在でも、ビジネスの現場、法廷、政府機関、医療現場、そして大学などの高等教育においては、英語が主要なコミュニケーションツールです。実際にマニラやセブのビジネス街を歩けば、オフィス内の会話が全て英語で行われている光景も珍しくありません。
また、映画館で上映されるハリウッド映画には字幕がつかないことが一般的で、観客は英語のセリフをそのまま理解して笑ったり泣いたりしています。
BPO産業と経済への貢献
この高い英語能力は、現在のフィリピン経済を支える大きな柱となっています。コールセンターや事務処理代行などのBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)産業において、フィリピンは世界トップクラスのシェアを誇ります。
アメリカ英語に近く、かつ丁寧で聞き取りやすいフィリピン人の英語は、グローバルビジネスの現場で高く評価されており、若者たちにとっても英語力は「良い仕事に就くためのパスポート」となっています。
ただし、フィリピンの英語には独自の特徴もあります。「Comfort Room(CR)」をトイレの意味で使ったり、「Brownout」を停電の意味で使ったりするのは有名です。
また、発音に関しては、母語の影響を受けて「F」を「P」と発音する(例:Fifty → Pipty)傾向が一部で見られるなど、アメリカ英語をベースにしつつもフィリピン化された独自のスタイルが確立されています。これを「フィリピン英語(Philippine English)」として、一つの正当な英語の変種と認める動きも世界的広まっています。
主要な言語の割合とランキング
フィリピンには、方言まで含めると120から180以上の言語があると言われていますが、実際にどの言葉がどれくらいの規模で話されているのか、統計データを見てみるとその実態がより鮮明になります。
フィリピン統計局(PSA)が実施した2020年の国勢調査(Census of Population and Housing)に基づき、5歳以上の家庭内での主要使用言語のデータを整理しました。
| 順位 | 言語名 | 主な使用地域 | 世帯割合(約) | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | タガログ語 | マニラ首都圏、ルソン島中南部 | 39.9% | 国語フィリピノ語のベース |
| 2 | ビサヤ語(Binisaya) | ビサヤ地方、ミンダナオ島北部 | 16.0% | セブアノ語を含む広義の呼称 |
| 3 | ヒリガイノン語 | パナイ島、ネグロス島西部 | 7.3% | 別名イロンゴ語 |
| 4 | イロカノ語 | ルソン島北部全域 | 7.1% | 北部の共通語 |
| 5 | セブアノ語 | セブ島、ミンダナオ島 | 6.5% | 統計上ビサヤ語と区別される場合あり |
| 6 | ビコール語 | ルソン島南東部(ビコール地方) | 3.9% | 辛い料理で有名な地域の言葉 |
| 7 | ワライ語 | サマール島、レイテ島東部 | 2.6% | 勇猛な民族性で知られる |
| 8 | カパンパンガン語 | パンパンガ州 | 2.4% | 食通の州の言葉 |
| 9 | マギンダナオ語 | ミンダナオ島中西部 | 1.4% | ムスリム人口が多い地域 |
| 10 | パンガシナン語 | パンガシナン州 | 1.3% | イロカノ語圏に隣接 |
(出典:Philippine Statistics Authority, 2020 Census of Population and Housing)
このデータを見る際に注意が必要なのは、1位のタガログ語が約4割と圧倒的に見える一方で、2位の「ビサヤ語」と5位の「セブアノ語」の実質的な関係です。
統計上は自己申告に基づいて分類されていますが、言語学的にはこれらは非常に近く、広義には「ビサヤ諸語(Visayan languages)」として一括りにされることが多いです。もしこれらを合計すると、ビサヤ・セブアノ語圏の人口はさらに大きな割合を占めることになります。
実際、セブ島を中心とするビサヤ経済圏や、移住者が多いミンダナオ島では、タガログ語よりもセブアノ語の方が日常会話やビジネスにおいて「強い」言語として機能しています。「マニラの言葉(タガログ語)なんて話したくない」という地域的なプライドを持つ人も少なくありません。
フィリピンの言語状況を理解するには、単にタガログ語だけを見ていると、国の半分以上の実情を見落としてしまうことになるのです。

地域別の言語分布と地図的特徴
フィリピンは南北に長く、山脈や海によって分断された島国であるため、地域ごとに独自の言語圏がモザイクのように形成されています。旅行や滞在の計画を立てる際にも役立つよう、大きく3つの地理的ブロック(ルソン、ビサヤ、ミンダナオ)に分けて、その詳細な分布と特徴を見ていきましょう。
ルソン島:権力の中枢と多様な北部諸語
フィリピン最大の島であり、首都マニラを擁するルソン島ですが、ここは決して「タガログ語一色」ではありません。
- 中部・南部(マニラ周辺): ここはタガログ語の確固たる中心地です。テレビやラジオ、政治の中心であり、標準的なフィリピノ語が最も通じやすい地域です。
- 北部(イロコス地方・山岳地方): マニラから北へ向かうと、言語環境はガラリと変わります。ここでは「イロカノ語」が圧倒的なリンガ・フランカ(共通語)として機能しています。山岳地帯(コルディリェーラ)には多くの少数民族が住んでいますが、彼らも部族間の会話にはイロカノ語を使用します。
- 中部平野: パンパンガ州では「カパンパンガン語」、パンガシナン州では「パンガシナン語」が話されており、それぞれが非常に強い郷土愛と言語への誇りを持っています。
- 南東部(ビコール地方): マヨン火山で有名なこの地域では「ビコール語」が話されますが、ビコール語は地域による方言差が激しく、隣の町でも言葉が通じにくいことがあると言われています。
ビサヤ諸島:島々をつなぐ海洋交易の言葉
フィリピン中部に浮かぶ無数の島々からなるビサヤ地方は、海を介した交流が盛んであったため、言語的なまとまりが比較的強い地域です。
- 中部ビサヤ(セブ、ボホール、ネグロス東部): ここは「セブアノ語」の独壇場です。フィリピン第二の都市セブを擁し、経済・観光の中心地であるため、セブアノ語の影響力は非常に強く、メディアや歌謡曲も活発に生産されています。
- 西部ビサヤ(パナイ、ネグロス西部): 「ヒリガイノン語(イロンゴ語)」が話されています。この言葉は抑揚がゆったりとしており、フィリピン人からは「怒っていても歌っているように聞こえる優雅な言葉」として愛されています。
- 東部ビサヤ(サマール、レイテ): 「ワライ語」が話されています。こちらは対照的に「強く、勇ましい響き」を持つとされ、地域住民の気質ともリンクして語られることが多いです。
ミンダナオ島:移住と先住の複雑な交差点
「約束の地」と呼ばれ、20世紀にルソンやビサヤから大量の移民が流入したミンダナオ島は、フィリピンで最も言語状況が複雑な地域です。
- 共通語としてのセブアノ語: 移民の影響で、現在ミンダナオ島の大部分ではセブアノ語が共通語として使われています。ダバオ市などで話される言葉も基本はセブアノ語です。
- ムスリム地域の言語: 西部や南西部のバンサモロ自治地域では、イスラム教徒のアイデンティティと結びついた「マギンダナオ語」「マラナオ語」「タウスグ語」などが話されます。これらはマレー語やアラビア語の影響も受けています。
- チャバカノ語の特異性: ザンボアンガ半島周辺で話される「チャバカノ語」は、アジアで唯一のスペイン語系クレオール言語です。文法はフィリピン風ですが、語彙の大部分はスペイン語であり、スペイン人が聞いてもなんとなく意味が分かると言われるほどユニークな言語です。
特徴で深掘りするフィリピンの言語一覧
ここからは、単なる名称のリストや統計データだけでは見えてこない、各言語の持つ「温度感」や面白い特徴、そして実際に旅行や生活で役立つ具体的なフレーズについて深掘りしていきましょう。
言葉を知ることは、その背後にあるフィリピンの歴史や文化、人々の考え方に触れることでもあります。

挨拶やありがとうの表現リスト
「郷に入っては郷に従え」と言いますが、現地を訪れた際、現地の言葉で挨拶ができると、相手との距離が一気に縮まるのは万国共通です。特にフィリピンの人々はフレンドリーなので、外国人が自分たちの地元の言葉(方言)を少しでも話そうとすると、驚き、喜び、そして満面の笑みで迎えてくれます。主要な言語で、基本的な挨拶と実用フレーズを比較してみました。
| 日本語 | 英語 | タガログ語 | セブアノ語(ビサヤ) | イロカノ語 |
|---|---|---|---|---|
| 元気ですか? | How are you? | Kumusta?(クムスタ) | Kumusta?(クムスタ) | Kumusta?(クムスタ) |
| おはよう | Good morning | Magandang umaga(マガンダン ウマガ) | Maayong buntag(マアヨン ブンタグ) | Naimbag a bigat(ナインバグ ア ビガット) |
| こんにちは(昼) | Good afternoon | Magandang hapon(マガンダン ハポン) | Maayong hapon(マアヨン ハポン) | Naimbag a malem(ナインバグ ア マレム) |
| ありがとう | Thank you | Salamat(サラマット) | Salamat(サラマット) | Agyamanak(アギャマナック) |
| どういたしまして | You're welcome | Walang anuman(ワラン アヌマン) | Walay sapayan(ワライ サパヤン) | Awan anyaman(アワン アニャマン) |
| おいしい | Delicious | Masarap(マサラップ) | Lami(ラミ) | Naimas(ナイマス) |
| いくらですか? | How much? | Magkano?(マグカノ) | Tagpila?(タグピラ) | Sagmamano?(サグママノ) |
「Kumusta(クムスタ)」はスペイン語の「Como esta」に由来し、ほぼ全土で通じます。「Salamat(サラマット)」も、マレー語やアラビア語にルーツを持つ言葉として広く共有されています。
一方で、「おはよう」や「おいしい」といった感覚的な表現は、地域によって語彙が全く異なるのが興味深いですね。セブ島で食事をして「Lami kaayo!(めっちゃおいしい!)」と言えば、レストランのスタッフは大喜びしてくれるでしょう。
敬語のポイント:魔法の言葉「Po」
タガログ語圏(マニラ周辺)では、文末に「Po(ポ)」をつけることで丁寧さを表します。「Salamat po(ありがとうございます)」「Opo(はい、そうです)」といった具合です。
これは目上の人、年配者、初対面の人に対して必須のマナーであり、これを使うだけで「礼儀正しい日本人だ」という印象を与えることができます。ビサヤ語やイロカノ語にはこの「Po」に相当する全く同じ用法の単語はないため、その点でもタガログ語の独自性が際立っています。
歴史が示すスペイン語の影響

フィリピンの言語を聞いていると、「あれ、今の単語スペイン語じゃない?」と感じる瞬間が多々あります。これは1565年から1898年まで、300年以上続いたスペイン統治時代の名残が、言語の中に化石のように残っているからです。
現在、スペイン語自体を流暢に話すフィリピン人はごくわずかですが、フィリピンの主要言語には数千語にも及ぶスペイン語からの借用語が含まれています。
特に以下のカテゴリーでは、スペイン語由来の単語がそのまま、あるいは現地の発音に馴染ませて使われています。
- 数字と時間: 金額や時間を言う時、フィリピン語の数字(イサ、ダラワ…)よりも、スペイン語由来の数字(ウノ、ドス、トレス…)を使うことが一般的です。「3時」は「Alas tres(アラス トレス)」と言います。
- 曜日と月: Lunes(月曜)、Martes(火曜)、Enero(1月)、Pebrero(2月)など、カレンダー周りはほぼスペイン語です。
- 家庭用品と料理: Kutsara(スプーン/Cuchara)、Tinidor(フォーク/Tenedor)、Mesa(テーブル/Mesa)、Carne(肉/Carne)など、生活に密着した言葉もスペイン語由来です。
また、言語学的に非常に面白いのが、元のスペイン語と意味が少し変化している「偽友(False Friends)」のような単語が存在することです。
意味が変化した単語の例
スペイン語の「Seguro」は「確実な(Sure)」という意味ですが、フィリピン語の「Siguro」は「たぶん(Maybe)」という意味で使われます。これは確信度が下がってしまっていますね。
また、「Siempre」はスペイン語で「いつも(Always)」ですが、フィリピン語では「もちろん(Of course)」というニュアンスで使われることが多いです。「明日来る?」「シエンプレ!(もちろん)」といった具合です。
さらに、フィリピン人の苗字にスペイン語系(サントス、レイエス、クルスなど)が多いのも、1849年のクラベリア総督による「布告」で、スペイン風の苗字を名乗ることが強制された歴史によるものです。言葉一つ一つに、植民地支配の歴史が刻み込まれているのです。
教育で使われる母語の種類
フィリピンの教育現場では、長らく英語とフィリピノ語による二言語教育が行われてきましたが、近年大きな転換期を迎えています。
それが、子供たちがスムーズに学習に入れるよう、2012年から導入された「母語を基礎とした多言語教育(MTB-MLE: Mother Tongue-Based Multilingual Education)」という制度です。
この政策の背景には、「子供が家で使っている言葉(母語)で最初に概念を学んだ方が、理解が早く、結果として英語やフィリピノ語の習得も早くなる」という教育学的な研究結果があります。
いきなり知らない言葉(英語)で算数を習うよりも、使い慣れた言葉で「足し算とは何か」を理解する方が効率的だということです。
教育省(DepEd)は、この政策を実施するために、以下の主要な19言語を公式に認定し、それぞれの言語での教科書作成や教員トレーニングを進めてきました。
- タガログ語
- カパンパンガン語
- パンガシナン語
- イロカノ語
- ビコール語
- イバナグ語
- サンバル語
- イヴァタン語
- セブアノ語(Sinugbuanong Binisaya)
- ヒリガイノン語
- ワライ語
- キナライア語
- アクラノン語
- スリガオノン語
- マギンダナオ語
- マラナオ語
- タウスグ語
- ヤカン語
- チャバカノ語
しかし、この理想的な政策も、現場では多くの課題に直面しています。特にマニラのような大都市では、クラスの中にタガログ語、ビサヤ語、イロカノ語を話す子供たちが混在しており、「どの母語で教えるべきか」という問題が発生します。
また、教材不足や、教員自身がその地域の母語の文法を正式に習っていないという問題もあります。
こうした実情から、2024年以降、国会では初期教育における母語教育の義務化を緩和し、再び英語やフィリピノ語の使用を柔軟に認める方向での法改正の議論も活発に行われています。フィリピンの言語教育は、常に「教育効果」と「実用性」の間で揺れ動いているのです。
現代の会話タグリッシュの実態

もしあなたがマニラなどの都市部に行かれるなら、街中で耳にする会話や、テレビドラマのセリフの多くは、教科書通りの純粋なタガログ語でもなければ、完全な英語でもないことに気づくでしょう。それが「タグリッシュ(Taglish)」です。
タグリッシュとは、その名の通りタガログ語(Tagalog)と英語(English)が混ざり合った混合言語(コードスイッチング)のことです。
これは単に単語を混ぜているだけでなく、タガログ語の文法構造の中に英語の単語を自然に組み込むという高度な言語操作が行われています。
タグリッシュの会話例
「Mag-shosopping tayo sa mall later?」
(あとでモールに買い物に行かない?)
※「Shopping」という英語に、タガログ語の接頭辞「Mag-」をつけて動詞化しています。
「Wait lang, na-traffic ako.」
(ちょっと待って、渋滞に巻き込まれた。)
※「Traffic」をタガログ語の受動態接頭辞「na-」で活用させています。
かつては「正しい言葉ではない」「教育上良くない」と批判されることもありましたが、現在では若者文化の中心であり、企業の広告コピー、ニュースのインタビュー、さらには大統領のスピーチの一部にさえタグリッシュが登場します。
タグリッシュを使うことで、英語だけでは堅苦しくなりすぎる雰囲気を和らげたり、タガログ語だけでは表現しにくい現代的な概念をスマートに伝えたりすることができるのです。
また、特定の社会階層(特に富裕層や私立学校出身者)が使う、英語の比重が非常に高く独特のアクセントを持つタグリッシュは「コニョ(Conyo)英語」と呼ばれ、時に揶揄の対象となったり、ステータスシンボルとなったりもしています。
タグリッシュは、フィリピン人が高い英語力を持ちながらも、自身のルーツであるフィリピンのアイデンティティを保ち続けていることを示す、現代フィリピン文化の象徴的な現象だと言えるでしょう。
多様性を知るフィリピンの言語一覧
ここまで見てきたように、フィリピンの言語一覧と言っても、そこには単なるリスト以上の、深く、複雑で、そして豊かな多様性が広がっています。
国家としてまとまるためのシンボルである「フィリピノ語」、グローバル社会への扉を開き経済を支える「英語」、そして人々の生活、感情、文化の根底に流れる「セブアノ語」や「イロカノ語」などの地方言語。
これらが互いに影響を与え合い、時に反発し合いながらも、絶妙なバランスで共存しているのがフィリピンという国の姿です。
フィリピンへの滞在をより充実したものにするために、公用語である英語を使いこなすことはもちろん重要です。
しかし、もしあなたが訪れる地域の「地元の言葉」を一つでも二つでも覚えて使ってみたらどうでしょうか。「Salamat(ありがとう)」の一言を、その土地の言葉で伝えるだけで、相手の表情は驚くほど柔らかくなり、ビジネスライクな関係を超えた温かい交流が生まれるはずです。
言語の多様性を知ることは、フィリピンという国とその人々をより深く愛するための第一歩なのです。
